おめでたいの鯛

頭がおめでたい

それでもぼくはホームレスにお金をあげる。

 

ホームレスにお金をあげることについては、賛否両論激しく分かれる。

 

さまざまな意見

  • 仕事に就くなどの安定収入でないため根本的解決になっていない。
  • 生活保護制度を利用しない道を自ら選んだので自力で生きるべき。
  • 経済面で社会の役にたっていない。
  • 一時しのぎ、延命処置でしかない。
  • 本当は困窮していない人もいるので判断が難しい。

 

反対意見が多いようだ。

 

しかし、ぼくは断然の賛成派である。

 

与えるべき与えないべきという意見は特に持っていない。

 

それぞれの正義の元に行動するのが一番だ。

 

 

ぼくがホームレスにお金を渡す理由 

 

人に何かを与えることは幸せを生み出す。

 

 

江戸時代より昔、お坊さんは、教えを布教すべく、いろんな村を歩いたが

 

食事は決まって貧しい人から頂いていた。

 

貧しい人は、人に何かを与えるという機会が少ない。

 

与えることの素晴らしさに気付かせるための行動だった。

 

 

人にものを与える、人を満足させる、そういうことに幸せを感じるのだ。

 

 

ここまでは、完全に自分のためだ。

 

自分だけ気持ちよくなって、ホームレスを負の連鎖に突き落としている偽善者だと叩かれるだろう。

 

しかし、ぼくは、これをホームレスにも意味のある行動だと思っている。

 

 

ホームレスに与えるのは、お金ではなく愛である。

 

 

普段、道端や橋の下で暮らす彼らがどんな気持ちなのか。

 

物乞いをしても、多くの人が振り向きすらしない。

 

見てみぬ振りをされたり、時には不条理な暴力に合うことだってある。

 

存在を否定され続け、生きる気力だってなくなってくる。

 

まさに絶望のふちにある。

 

 

そんな彼らにとって、お金を渡してもらうことは

 

自分を人として認めてくれる数少ない機会であり、とてもうれしいに違いない。

 

ありがとう。ありがとう。と自然に前向きな気持ちになれるものだ。

 

 

愛は連鎖する

 

お金と同様、愛も循環、連鎖するものだ。

 

1人のホームレスに愛を与える。

 

その1人が仲間のホームレスにも愛を与えられる。

 

そのうちの何人かが、がんばろうかなという気持ちになって社会復帰の助けにもなるかもしれない。

 

見てみぬふりや、罵倒を浴びせる行為は、社会復帰の助けどころかその妨げとなっているのだ。

 

まとめ 

 

お金を与える行為は、同時に愛を与えることになる。

 

ぼくは渡すときに、必ず両手で手をにぎって一声かけるようにしている。

 

その手は、かさかさで、肌に栄養がいってないのがよくわかる。

 

人と触れる機会も声をかけてもらう機会も全くと言っていいほどないだろう。

 

そんな彼らに両手で触れ、言葉をかけることで愛を与える。

 

その愛が連鎖することで、社会は豊かになる。

 

社会的弱者に優しくあることが、社会を豊かにする。

 

ぼくはそう思う。