おめでたいの鯛

頭がおめでたい

偏差値68のぼくが小学生に通信教育を勧める5つの理由

 

こんにちは、何の苦もなく難関大学に合格してしまった ゆ←鯛 です。

 

実はぼく、受験期間というものは今までの生活の中で一番楽しいものでした。

小学生のころから学年トップレベルの学力を誇っていたので、上位にたつことの優越感や達成感などというものを知っており、それのための努力は苦と感じなかったのです。

また、楽しく感じるための効率的な勉強法や、常に目標を見続けるためのマインド管理法も研究していたため、たぶん誰よりも楽しく過ごしてたんじゃないかなと思います。

ちなみに、学校に行かずに朝から晩まで図書館に1人でこもっていましたが、最高でした。

 

そんなぼくの土台をつくったのは幼少期から始めていた通信教育のおかげと言えます。

通信教育が、ぼくの「なぜかデキル」という自信を与え、それを維持するための揺るがない学習スタイルを確立し、最終的に志望校合格という結果を与えました。

 

今回は、通信教育のメリットをたくさん紹介していきまっす。

 

 

学習習慣の確立

 

最も基本で最も大切なもの、それは学習習慣。

勉強は、毎日していきたいもの。

1日だけバリバリこなすのと、2日間半分ずつやるのでは、前者はあまりに消耗が過ぎる。

勉強は毎日無理なくやることが大切。

 

そんな勉強習慣を身に着ける最も簡単な方法が通信教育。

1か月以内に教材を終わらせる(終わらせないといけない)という目標があるからこそ、学習予定をたてることができる。毎日机に向かうことができるものだ。

 

勉強ってしなくても生きていけるものと思ってしまいがち。

そういうものって何か目的があったり、追われたり焦ったりしないとなかなかできなかったりする。

 

食事だって、お腹が空くから食べるだけで、お腹が空かなかったら食べないでしょう?

それと同じ。勉強しなきゃいけないって心から思わせることが大切。

 

ここで重要なのが、人に言われて、勉強の必要性を感じるのではダメということ。

両親や先生に、「勉強しなさい」と言われたところで、やる気アップするような人はいないだろう。

毎月送られてくる通信教育の教材に遅れをとらないように、と自ら学習の必要性を発見することに意義があります。

 

すべて解けて当たり前

 

通信教育の企業は常に、生徒の学校の成績が伸びることを目標としている。

学校で教わるであろうことを、教材で先にこなして、授業理解度をあげ、テストの点数をあげようという算段だ。

保護者が教材の効果を確認できる最も有効的なものでもある。

つまり、通信教育を受けている子どもにとって、学校で受ける授業はもう既に知っているものとなっている。

 

例えばぼくの場合、学校のテストが満点じゃないとありえなかった。

学校で習うことは常になんでもできた。

周りはぼくを天才だと讃えたがぼくにとってはそれが当たり前だったのだ。

逆に1つでもミスでもあろうものなら、悔しさのあまりテスト用紙を握りつぶしたものだ。

解けることが当たり前で、解けないことに悔しさを感じていた。

 

すべて解きたい。二度と間違えたくない。

その思いから、自ら間違った箇所を復習をしていた。

 

 

なぜかデキルという根拠のない自信

 

通信教育がいくら学校の授業を先取りしているとはいえ、すべてをカバーできているわけではない。

たまーに、知らないものが出てくることだってある。

しかし、「授業で分からないものはない」という常識を持っているので。

「まあやればできるだろ」みたいに思っているところはある。

自分なりにやってみたらできたりとか。なんだかんだできちゃったりするもの。

 

算数とかならそんなふうにオリジナルでこなしてしまうこともあるが、漢字などの暗記系ともなると大変だ。

覚えてないことに大きな焦りを感じて、家に帰ったら必死に覚えていたものだ。

 

トップであるというプライド

 

ぼくはずっとクラストップだった。ずっとトップでありたかった。

いつだったかの計算問題の宿題で、微妙な点をとってしまったことがある。

その日に限って、そのプリントに名前を書くのを忘れてしまったようで。

誰のかわからないものとして、黒板にさらされてしまった。

いつも満点でクラス一番のぼくが、今更名乗りでるわけにも行かず。

1週間くらい居心地の悪い思いをした。

そんなこともあったなー。

トップは渡せないという絶対的なプライドを持っていた。

 

 

突出存在でありたかった


ぼくは常に周りに「頭がいい」「天才である」と言われ続けた。

自分にとって当たり前にできることが他人にはできない。

ぼくは人と違う特別な存在だと思った。

また、常に特別な存在でないといけないと思った。

誰よりも優れた人間でありたかった。そのため四字熟語や読めない漢字、ことわざ、古文まで学んだ。

「あいつとあいつが好き同士なの?相思相愛だね」などとドヤ顔で新しく学んだ言葉を使っていた。

春はなぜか眠い現象がある。

クラスメートが「眠い~」なんて言おうものなら、「春眠暁覚えず...」などとつぶやいてみる。

クラスメートが食いつこうものなら「処処啼鳥を聞く、夜来風雨の音、花落つること知る多少」とすべて暗唱してみせた。

自慢してしまうところは思わず苦笑いだが、インプットしたことをきちんとアウトプットして記憶定着に役立っていたことは事実だ。

 

人と違う存在でありたかったんだ。

今もそういう思いはあるが、他人と比較することはもうやめており、自分の過去と比較して常に成長していこうと思っている。

 

 

まとめ

 

通信教育がぼくにもたらしたものは言葉では言い表せないほど大きなものだった。

それなしでは、高校受験も大学受験も成功しなかっただろうと思う。

 

ぼくは、3歳から「子どもチャレンジしまじろう」を始め、小学生では今はなき「日能研 知の翼」というもので学習していた。

中学でも途中までやっていたものの、定期テストなどで続けるのが困難になったため断念。

合わせると10年くらいやっていたんだろうか。

 

疲れた日も、お祭りの日も、毎日1時間勉強する習慣を身に着けた。

勉強がデキルという自信を与えてくれた。

まさに通信教育万々歳である。