おめでたいの鯛

頭がおめでたい

【仮説】言語を変えると人格が再形成できるのか?海外で実験してみよう

こんにちは、 ゆ←鯛 です。

2月からワーホリで1年間オーストラリアに行ってきます。

 

ほとんどのワーホリ勢は、

「英語習得」とか「キャリア」とか

他の人との差別化を図るためにワーホリを利用しているように見えますが

 

 

ふふ、ぼくは、1年間で壮大な実験をしてこようかと思っています。

 

人格を再形成できるのか試したい

 

ぼくは高校生の頃から、心理学の勉強をしていますが

よく見かけるのがこういう言葉

「言語が人格を形成する」

「思考は言語によって形成される」

 

これは、確かにその通りだと思います。

自分で何かを考えるときって、

「あれ?なんでだろう?」とか

「ここをこうしたらこうなるから、次はあれか。」

みたいに脳内で独り言パラダイスやってますよね。

 

「言語」を使うことができなかったら「思考」も使うことができないのです。

思考がなかったら、「快」と「不快」しか存在しない生き物となります。

 

例えば、人間が言語を習得する前。

生まれたばかりの赤ちゃんは、「快」と「不快」しか存在しませんよね。

不快を感じると、意思表現・伝達欲求(本能)にて泣いて示します。

言語を習得していないので、何が不快なのかを理解しないままただ泣くのです。

また、その不快を取り除くためにどうしたらいいか

それを考えることもできないので、ただ本能のままに泣きます。

そして、不快がなくなると泣き止みます。 

 

そして、言語習得中のキッズはどうか。

キッズたちは、比較的エネルギッシュで常に笑顔の子が多いですよね。

あれは、汚い言葉を知らなかったり、固定観念が圧倒的に少ないからなのではないかと推測しています。

 

「脳は主語を認識できない」という言葉があるように

人にバカと言ったら、脳は自分がバカだと認識してしまうのです。

つまり、汚い言葉を使うたびに自己嫌悪に陥りやすくなり幸福度が下がります

また、固定観念をもつと自分の好奇心をもとに自由に動くことが困難になります。

これをしたら、周りがどう思うのだろうか。これはするべきではない。

などと、メンタルブロックなどが働いて、気の向くままに動けなくなります。

固定観念でガッチガチに縛った大人たちと比べると

縛りのないキッズたちは、相対的にエネルギーに溢れた存在となります。

 

え、じゃあ、キッズに一生汚い言葉を教えなければ、

エネルギッシュなまま大人になれるんじゃないの?

と思った方、大正解です。

 

現に、年齢を重ねてもエネルギーに溢れている方々が少ないながらにも存在します。

そのうちに一人に質問をしたことがありますが

幼少期は両親からこういわれて育ったそうです。

「あなたの笑顔はみんなを幸せにする。そのために生まれてきたんだよ。」

マンガみたいな話ですが、実話です。

そう言われて育った彼女は、今も笑顔でみんなの注目の的です。

 

また、こんな話もあります。

 

「美人は、人に肯定されて育った。」

美人の人は、ほとんどの人が、人にかわいいと言われて育ったのです。

こんな実験があります。

顔面偏差値が同程度の2人が1か月間毎日、人からある言葉を言われます。

一方の人は「かわいい」と、そしてもう一方の人は「ぶさいく」と。

すると、1か月後どうなるか。

かわいいと言われた人は、ファッションやメイクに精力的になり笑顔も増え、かわいくなった。

ぶさいくと言われた人は、ファッションやメイクに気合は入るも空回り、暗い印象になったそうです。

これは、いくつかの実験で同様の結果が出ています。

 

それを裏付ける証拠として、現に企業では他企業訪問の際に必ず美人秘書を連れていきます。

それは、他企業の担当の方の気を大きくさせるというメリットもありますが、

最大のメリットは、「美人は、人に肯定されて育った」という面です。

人に肯定されるのが当たり前の人は、人を肯定することだって当たり前です。

担当の人のファッションや気づかいや案の1つだって肯定することができます。

肯定されて気持ちよくなってもらって契約してもらおうという策です。

 

少し話がそれましたが

人格というのは、学んだ言語(周りの人から与えられた言葉)によって形成されています。

そして、それは大人になってもずーっと影響し続けます。

褒められて育つと、他人を褒めるようになります。

否定されて育つと、他人を否定するようになります。

 

これで、子どもの育て方は、なんとなく分かってきましたよね?

 

でも、大人は手遅れだ。

なんてそんなことはないんです。

 

大人だって、自分が使う言葉を変えれば、思考だってだんだん変わってきます。

今からだって改善余地はあるのです。

しかし、思考回路強制というのはとても難しく骨が折れるので

 

じゃあ、「変える」のではなく、「最初から作り直し」たらとっても簡単なはず

大人が第二言語を学ぶときに「計画的に自分を育てたら」どうなるの?

っていう発想です。

この場合の大人とは、言語習得中のキッズと同じ過程に位置するはずです。

習得する言葉を制限すれば、第二言語ベースの思考も制限されるかも

ってところに目を付けました。

 

例えば、今ぼくが使いたくない日本語

「バカ」「死ね」「くそ」「ふざけんな」

とか、もう見るだけで頭が痛くなります。

 

これらに対応する英語を習得せず

さらに、その類の情報を得ない工夫をすれば

英語で思考展開ができるようになったときに

こんな頭が痛くなるような思いをしなくていいのかもしれません。

 

具体的には、英語圏における俗な映画・ドラマを見ない。

そういう人たちと関わらない。

そういうニュースを見ない。

 

もちろん、情報に関しては受信側、つまり受け身なので

取捨選択の選別するのは、とても難しいことなのですが

工夫すれば、9割は取り除けるはずです。

 

ポジティブな言葉、文章展開しか知らなければ

ポジティブな思考展開しかできない。

そんな方法で理想的な人格を手に入れることができるのです。

 

でも、言語や思考が一般人と比べて偏ってると

実生活に何か不具合が生じるんじゃない?

という疑問も生まれますが、その点に関しては全く心配ありません。

ぼくらが母言語習得中のキッズと違うのは、

言語を行き来できるということです。

一般人同等のバランス的な思考展開が可能な母言語と

洗練されたポジティブ特化型の第二言語

状況によって使い分けることができるのです。

訓練すればどちらの言語で思考展開するのか自分で選ぶことができます。 

 

とはいえ、ネガティブワードを全く習得しないというのは無理があります。

しかし、意識してそれらのワードに触れる回数を少なく少なくすることによって

反応率を下げることはできるかもしれません。

その言葉が聞こえても、概念想起までにいたらず

ただの音として、感覚器官を通り過ぎるだけ

情報処理の優先度の低い“音”とするということです。

 

 

言語が思考を展開するんだから!

言語を偏らせれば、思考の偏る!

すべて思いのままに!

すべてを悟ったぼくは、瞬時に実験を決意しました。