おめでたいの鯛

頭がおめでたい

悩める10代のための生の哲学

17歳は生について考える歳だと言われている。

ぼくもその歳にいろいろ考えた経験がある。

自分はなぜ生きているのだろう、とふと考え始め

毎日同じことを繰り返す生活を見つめては

いっそ死んでみたらどうなるのだろう、と考えてみたりする。

かといって死んだところで家族に迷惑がかかるだけなので

結局、何も変化を起こさずに同じ生活を送り続ける。

 

しかし、頻繁に虚無感のようなものが襲ってくるので

ネットで調べたり年上の知り合いに相談してみたりした。

すると、たいていの答えがこういうものだった。

「考えれば考えるほど、虚無感や恐怖心が襲ってくるので考えるのをやめた。」

みんなそうだった。

なぜ生きているのかはわからないが、生きている。

 

正直ぼくはあきれた。

え、みんな考えるのやめちゃったのwww

やる気ねえなwwwww

って。

 

ぼくは元から感情を伴わない行動が嫌いだった。

よくわからないけど、続ける、とか

やりたくないけど、やる、とか

そういうのが大嫌いだった。

ちゃんと自分の中で、ぴたっとはまったことだけをやりたいのだ。

それがのちに大学中退の決断にもつながった。

そんなぼくなので、

妥協して生きるなんて

そんなことに我慢が行かなかった。

 

だから、今回は生と死について考えつくした結論を書いていこうと思う。

 

考えることを諦めるな

 

声を大にしていいたいことだ。

考えることをあきらめないで。

 

ぼくはまだ高校生の頃、大人になりたくないと思っていた。

大人の経済力は欲しいが、嫌なことも我慢して毎日会社で働くのが嫌だ、と感じていた。

これを感じているのはぼくだけではないはずだ。

「大人は我慢しなきゃいけない」という固定観念をみんなが持っているのだ。

 

単刀直入にいうと、そういう「大人」は考えることを諦めた人たちである。

生とは何なのか、考えるのを諦めた人は心を無にして会社で働く。

死とは何なのか、考えるのを諦めた人は保険や貯金に大金をつぎ込み、金がないと嘆く。

 

会社で働くのが悪と言っているのではないが

あまりにそういう人が多い「イメージ」があるというのは事実だ。

 

自分は何のために生まれたのか

 

さて、本題に入ろう。

17歳前後の悩める方々に今日はスッキリしていただこうと思う。

この文章を読んだ後、いくらか未来に希望が見えたり

明日を生きるのが楽しくなったりしていただければ幸いである。

 

そもそもなぜこの疑問を”突然”抱いてしまったのかを考えてみよう。

17歳と言えば高校生である。

高校生はほぼ義務教育だ。

小学校、中学校を経験して、さらに高等学校。

最低限学校を12年間続けなければならない。

17歳であるならばもう10年以上も”学校”という枠組みで過ごしていることになる。

ずばり17歳は

「学校に飽きてしまったのだ。」

元から飽きてるよって声もたくさん聞こえるが

たぶん多くの17歳は飽きすぎてロボットになってしまっているのだと思う。

学校が嫌だとか、つまらないとかそういう感情を感じすぎてしまったため

それらを抑制して、無感情に行動するロボットになってしまったのだ。

いったんロボットになってしまうと、感情発生が少なくなる。

そうすると、今まで感情を発生するために使われていたエネルギーが余るようになる。

そしてそのエネルギーで、自分を客観的に観察しているのだ。

 

人間、エネルギーが余ると鬱になりやすい傾向にある。

最もエネルギーが余っているから、人生についていろいろ考えてしまうのだ。

理想なのは、考えるエネルギーも持ち合わせないほどなにかに熱中することである。

 

夢を追いかける人、なにか1つのことに一生懸命になっている人が

とても輝いて見えたり、かっこよく見えたりするのはこのためだ。

本能的なのかは知らないが、自分のエネルギーの大部分を1つのことに集中させたいという傾向のあらわれだ。

 

何かに夢中になるためには

 

かつてのぼくも趣味が欲しいと嘆いていたことがある。

「趣味一覧」と検索してみたり、いろいろ調べたものだ。

しかし結局、楽しいことがあまりなかった。

 

 

ぼくは暇になるとYoutubeやニコ動で適当に動画を見ては

楽しいものを探し求めるという癖がある。

動画の見始めは面白いのだが

不思議なことにたくさんの動画を見れば見るほど、

どんどんつまらなくなっていくのだ。

 

世の中には2種類の人間がいると思っている。

生産者と消費者だ。

食べ物の生産者である農家とかそういう話ではなく。

世の中にあふれているコンテンツの話である。

例えば、Youtubeであれば、

動画投稿者が生産者。

動画視聴者が消費者、ということになる。

 

消費者は見て、感想を抱いて、終わり。

ただそのまま、一生受け身のままだが。

 

生産者は、コンテンツを提供すると

必ずフィードバックが得られる。

Youtubeであれば視聴回数や評価やコメントである。

そしてフィードバックが得られたら

次はより良いものを目指して改善することができる。

生産者は、こうして日に日に成長できるのだ。

 

受け身である消費者に比べて

生産者は、自発的でありそれゆえに奥が深い。

 

趣味がない人が目指すべきは、ずばり生産者になることだ。

いつまでも受け身であることをやめて

自ら考え自ら行動すること

これが人が生きる意味であったりもする。

 

音楽を聞くのが好きなら、音楽を作。

ゲームをするのが好きなら、ゲームを作る。

簡単なことだ。

 

目標は仮決めでいい

 

生産者になろうとすると、今度は向き不向きが出てくる。

やっかいなものだ。

消費者のときは受け身でよかったのだが

生産者の場合は0から1を作り出さなくてはならない。

0から始めるもので、人によって出来上がったものにはばらつきがある。

その分野に向いていて素晴らしいものを簡単に作り出せる人

その分野に向いていないのでがんばってもなかなかいいものを出せない人

人によって違ってくるのだ。

 

だから目標は仮決めでいい。

これをやってみよう!と決めても

なんかこれ違うな、と思ったらまた変えていいのだ。

 

生産者になるというのは、

規模を大きくすれば、社会を変えることにもつながる。

目標は大きく持つ派のぼくにとって

それは次第に”将来の夢”につながっていった。

そして将来の夢まで持つと、もう生に関して悩む必要はなくなる。

 

まとめ

 

生きる目的がわからないなら、

自分の夢中になれることを探す。

 

自分の好きなこと、音楽やゲームなど。

そういうものを作る側の生産者になる。

 

次第には、それで社会を変えていくんだ。

くらいの勢いで大規模にしていけば

それが次第に自分の使命となりえる。

 

しかし、使命を探すのはとても難しいことなので、

とにかく適当に仮決めして行動してみること

しっくりこなかったら、また変えて行動してみる。

そうして自分の本当の使命を見つけてみること。